ピアノでドとミとソを同時に鳴らすと、きれいな和音に聞こえます。しかし、同じ和音を弦楽四重奏や合唱が長く伸ばすと、ピアノのドミソがわずかに「揺れて」いたことに気づく人がいます。原因は耳の良し悪しではなく、ピアノの鍵盤が採用している音律にあります。
音律とは、1オクターブの中に音をどの高さで並べるかの決まりです。現在の鍵盤楽器の多くは十二平均律(オクターブを12の等しい比率に分ける音律)で調律されていますが、これは「どの調でも同じように弾ける」ことと引き換えに、すべての和音を少しずつ濁らせる妥協案です。
この記事では、古代中国とギリシャの5度の積み上げから、ルネサンスの純正律と中全音律、バロックの「よく調律された」鍵盤、そして2の12乗根の計算までを、一次資料をもとにたどります。音律の歴史は、どうしても割り切れない数をどこへ押し込むかという、2000年以上続く交渉の記録です。
音律のずれを測る物差し — 振動数の比とセント
音の高さは、1秒あたりの振動数で決まります。2つの音の振動数が2:1ならオクターブ、3:2なら完全5度、5:4なら長3度です。こうした小さな整数比の音程は、倍音(音に含まれる、基音の整数倍の振動数の成分)がよく重なるため、濁りの少ない澄んだ響きになります。これを純正な音程と呼びます。
問題は、純正な音程を組み合わせてもオクターブがきれいに埋まらないことです。音律の歴史は、この割り切れなさの処理方法の歴史だといえます。
違いを比べるには、比率を足し算できる単位に直すと便利です。19世紀イギリスの言語学者で音響学者のアレクサンダー・J・エリス(Alexander J. Ellis)は、1885年に英国王立技芸協会で講演した論文「諸民族の音階について」で、1オクターブを1,200等分するセントという単位を体系的に使い、ギリシャ、アラビア、インド、ジャワ、中国、日本などの音階を同じ物差しで比較しました。平均律の半音がちょうど100セントになる単位です。
| 音程 | 振動数比 | セント | 平均律との差 |
|---|---|---|---|
| 純正な完全5度 | 3:2 | 約702.0 | 約+2.0 |
| 純正な長3度 | 5:4 | 約386.3 | 約−13.7 |
| ピタゴラス音律の長3度 | 81:64 | 約407.8 | 約+7.8 |
| ピタゴラス・コンマ | 約1.0136:1 | 約23.5 | — |
| シントニック・コンマ | 81:80 | 約21.5 | — |
セントの値は振動数比から計算したものです。平均律の長3度(400セント)は、純正な長3度より約14セントも広いことが分かります。冒頭の「ピアノのドミソの揺れ」の正体は、この14セントです。
5度を積み上げる — 三分損益法とピタゴラス音律
最も古い音律の作り方は、純正な5度を次々に積み上げる方法です。古代ギリシャではピタゴラス学派に結びつけて語られ、ピタゴラス音律と呼ばれます。中国でも同じ発想の方法が古くから記録されています。
紀元前3世紀に編まれた『呂氏春秋』の音律篇には、「三分所生,益之一分以上生;三分所生,去其一分以下生」とあります。笛や弦の長さを3等分し、1つ分を加えれば(4/3倍)4度下の音、1つ分を除けば(2/3倍)5度上の音が得られるという三分損益法です。同篇は、基準の黄鐘から林鐘、太蔟、南呂、姑洗……と、12の律(十二律)が順に生まれる順序を記しています。
12回積み上げても元に戻らない
ここで割り切れなさが表に出ます。5度(3:2)を12回積み上げると、振動数は(3/2)の12乗で約129.75倍になります。一方、7オクターブ上は2の7乗の128倍です。差は約1.36%、セントにして約23.5セントで、これをピタゴラス・コンマと呼びます。
つまり5度を純正に保ったまま12音を並べると、どこか1か所の5度にこの23.5セントのしわ寄せが集まり、使えないほど濁ります。中国の楽律学でも、三分損益で十二律を巡っても黄鐘に戻らないことは長く議論の的でした。南朝宋の何承天(370〜447年)が、ずれを各律に配分する「新律」を作ったことが『宋書』楽志に記録されています。
ピタゴラス音律にはもう一つの特徴があります。5度を4回積み上げて作る長3度が81:64(約407.8セント)となり、純正な5:4より約21.5セント広いことです。中世ヨーロッパの音楽で3度が協和音として扱われにくかったことは、この音律の性質と結びつけて説明されることがあります。

3度を澄ませる — ザルリーノの純正律と2種類の全音
15世紀以降、ヨーロッパの多声音楽では3度と6度の和音が中心的な響きになっていきます。そうなると、3度が濁るピタゴラス音律は不便です。そこで、5度だけでなく長3度も純正(5:4)にする純正律の考え方が理論化されました。
その代表が、ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂の楽長を務めたジョゼッフォ・ザルリーノ(Gioseffo Zarlino)が1558年に出版した『ハーモニー教程』(Le istitutioni harmoniche)です。ザルリーノは1から6までの数(セナリオ)で協和音程を説明し、長3和音と短3和音をこの数の比に基礎づけました。ドミソを4:5:6にすれば、3つの音の倍音がよく重なり、うなりのない和音になります。
純正律では「全音」が2つの大きさになる
ただし純正律には大きな弱点があります。ドからミまでの長3度(5:4)を2つの全音に分けると、9:8(約203.9セント)と10:9(約182.4セント)という大きさの違う2種類の全音ができてしまうのです。差は81:80、約21.5セントで、これをシントニック・コンマと呼びます。
この結果、ハ長調で純正に調律した鍵盤では、レとラの5度が約21.5セント狭くなり、ニ短調の主和音が濁ります。合唱や弦楽器なら、奏者が耳で音を微調整して和音ごとに純正な響きに寄せられます。しかし、音の高さを演奏中に変えられないオルガンやチェンバロでは、調を移るたびに破綻が起きます。
ザルリーノ自身も鍵盤楽器にはこの純正律をそのまま使えないことを認め、同書で5度を少しずつ狭める調律法(後述の中全音律の一種)を記述したとされます。理論上の理想と、鍵盤という固定された楽器の制約とのあいだで、次の妥協が始まります。
3度のために5度を削る — 中全音律とウルフ
ルネサンスからバロック初期の鍵盤楽器で広く使われたのが中全音律(ミーントーン)です。発想は単純で、長3度を純正(5:4)に保つため、5度を少しずつ狭くします。全音は純正律の2種類の中間(mean)の大きさに統一されるので、この名があります。
最初期の記述とされるのが、イタリアの理論家ピエトロ・アーロン(Pietro Aron)が1523年にヴェネツィアで出版した『トスカネッロ』(Toscanello in musica)です。アーロンは長3度をできるかぎり純正にする手順を示しました。どれだけ5度を狭めるかを数値で示してはいないため、のちに「4分の1コンマ中全音律」と呼ばれる方式の記述と見なされている、というのが研究者の一般的な理解です。
4分の1コンマ中全音律では、シントニック・コンマ(約21.5セント)の4分の1、約5.4セントずつ5度を狭めます。5度は約696.6セントになり、これを4回積むと純正な長3度(約386.3セント)にぴったり重なります。ハ長調、ヘ長調、ト長調といった調号の少ない調の和音は、平均律よりはるかに澄んで響きます。
「狼」が吠える5度
代償は、12音の輪の閉じ目に集まります。狭い5度を11個並べると、残る1個の5度は約737.6セント(純正より約36セント広い)になり、遠吠えのようなうなりを立てます。これをウルフ(wolf fifth)と呼びます。中全音律では、ソ♯とラ♭のように平均律では同じ鍵盤の音が別の高さになるため、調号の多い調では和音が成り立ちません。
この不便を補うため、黒鍵を前後に分割してソ♯とラ♭を別々に弾けるようにした鍵盤も作られました。17世紀のイタリアの鍵盤楽器などに例が知られています。

「よく調律された」鍵盤 — ヴェルクマイスターとバッハ
17世紀後半になると、作曲家は調号の多い調にも踏み込むようになり、ウルフを避けたいという要求が強まります。そこで登場したのが、コンマを複数の5度に不均等に配分し、すべての調を使えるようにしながら、調ごとの響きの個性も残す音律です。総称してウェル・テンペラメント(よく調律された音律)と呼ばれます。
ドイツのオルガニストで理論家のアンドレアス・ヴェルクマイスター(Andreas Werckmeister)は、1691年の『音楽の音律』(Musicalische Temperatur)で、このような循環可能な調律法を複数提示しました。調号の少ない調では3度が比較的純正に近く、調号が増えるほど3度が広くなる設計で、24の長短調すべてを弾けます。
バッハは何で調律したのか
この流れの中で書かれたのが、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach)の『平均律クラヴィーア曲集』第1巻です。ベルリン国立図書館が所蔵する自筆浄書譜(Mus.ms. Bach P 415)の表題には「Das Wohltemperirte Clavier」とあり、末尾に1722年の年記があります。24の長短調すべてで前奏曲とフーガを1曲ずつ書いた曲集です。
日本語の通称は「平均律」ですが、原題の wohltemperirt は「よく調律された」という意味で、十二平均律を指すとは限りません。バッハが想定した調律が平均律だったのか、ヴェルクマイスターのような不均等な音律だったのかは、現在も研究者のあいだで議論が分かれています。表紙の装飾模様を調律法の指示と読み解く説も2000年代に提出されましたが、定説にはなっていません。
確かなのは、すべての調で演奏できる鍵盤が実用になったことで、遠い調への転調そのものが作曲の表現手段になったということです。
2の12乗根 — 朱載堉、ステヴィン、メルセンヌ
すべての5度を同じだけ狭め、12の半音を完全に等しくするのが十二平均律です。隣り合う半音の振動数比は2の12乗根(約1.059463)で、この比を12回掛けるとちょうど2、つまりオクターブになります。ピタゴラス・コンマは12の5度に約2セントずつ均等に配られ、ウルフは消えます。
この比を初めて高い精度で求めた人物として知られるのが、明の皇族で楽律学者・暦算学者の朱載堉(1536〜1611年)です。香港城市大学の陈关荣(Guanrong Chen)による解説によれば、朱載堉は1584年の『律呂新説』、1594〜1596年の『律呂精義』などで、三分損益法に代わる「新法密率」を示しました。2の平方根をとり、さらにその平方根をとり、最後に立方根をとるという手順で、半音の比を小数点以下24桁まで求めています。計算には81桁の大きな算盤を用いたと伝えられます。
ヨーロッパでは、オランダの数学者シモン・ステヴィン(Simon Stevin)が16世紀末に平均律の計算を記した草稿を残したとされ、フランスの修道士マラン・メルセンヌ(Marin Mersenne)が1636年の『普遍的調和』(Harmonie universelle)で平均律の数学的な扱いを論じました。朱載堉の成果がヨーロッパに伝わったかどうかについては、伝播を示唆する説と独立に到達したとする説があり、確定していません。

一方で、平均律が鍵盤楽器の標準になるまでには時間がかかりました。数学的に正しい答えが早くから知られていても、すべての3度が濁る音律を演奏家と調律師がすぐに受け入れたわけではありません。ピアノの普及とともに平均律が一般化したのは19世紀のことだとされます。
ピアノと平均律、そして画面の中の音律
平均律が主流になっても、ピアノは数式どおりには調律されていません。ピアノの弦は太く硬いため、倍音が基音の整数倍から少しずつ高い方へずれます。これをインハーモニシティ(非調和性)と呼びます。調律師は耳でうなりを聞きながら合わせるため、高音域はやや高めに、低音域はやや低めにオクターブを広げる傾向があります。
この傾向は、米国の物理学教師O・L・レイルズバック(O. L. Railsback)が1930年代に調律済みのピアノを測定して示したことからレイルズバック・カーブと呼ばれます。2015年には米国音響学会誌に、ピアノ音の実測スペクトルと人の感じる不協和の研究を組み合わせると、このカーブの大きさが説明できるとする論文が出ています。ピアノのアクションの仕組みはピアノのアクションの記事で解説しています。
制作の現場で音律を扱うとき
電子楽器の世界では、音律は設定で選べるものになりました。MIDI の規格団体 The MIDI Association が公開する MIDI チューニング規格(MIDI Tuning Standard)は、128の鍵それぞれの高さを送るメッセージや、1オクターブ分のずれをセント単位で指定して全オクターブに繰り返すメッセージを定めています。ソフト音源の多くは、中全音律やヴェルクマイスターの音律をプリセットとして持っています。
古楽の録音では中全音律やウェル・テンペラメントで調律したチェンバロを使うことが珍しくありません。基準ピッチの違い(ラはなぜ440Hzなのか)と同じく、どの音律で合わせるかは事前に決めておくべき項目です。和楽器や世界の音楽を取り入れる場合は、平均律の外側の音の並びも検討に入ります(日本の音階と地域の音楽)。
音律まで指定して録音や編曲を頼みたいときは、演奏家や作編曲家のポートフォリオから古楽や和楽器の経験がある人を探したり、仕事の掲載で使用する音律と基準ピッチを条件に書いたりできます。演奏する側は、対応できる音律や楽器をポートフォリオに書いておくと、依頼者に伝わりやすくなります。
音律は「誤差をどこに置くか」の選択
音律の歴史を振り返ると、正解が一つに決まった歴史ではないことが分かります。純正な5度と純正な3度とオクターブは、数学的に同時には成り立ちません。ピタゴラス音律は5度を、純正律と中全音律は3度を、ウェル・テンペラメントは調ごとの個性を、十二平均律は転調の自由を優先しました。
それぞれの音律は、その時代に求められた響きと、使われた楽器の制約に対する答えでした。合唱や弦楽合奏がいまも和音ごとに音程を微調整しているのは、平均律が唯一の正解ではないことを、演奏の現場が知っているからです。鍵盤の「ドミソ」に含まれるわずかな揺れは、2000年以上にわたる割り切れない数との付き合い方の結果なのです。
参考・出典
- 呂氏春秋 卷六 音律(『呂氏春秋』紀元前3世紀/Wikisource 翻刻)
- Le Istitutioni Harmoniche)(Gioseffo Zarlino・1558年/IMSLP 所蔵スキャン)
- Das Wohltemperierte Klavier, Teil 1 BWV 846-869 自筆譜 D-B Mus.ms. Bach P 415(ベルリン国立図書館所蔵・1722年/Bach digital)
- Harmonie universelle(Marin Mersenne・1636年/フランス国立図書館 Gallica)
- 东方文艺复兴式的学者——朱载堉(陈关荣/香港城市大学)
- On the Musical Scales of Various Nations)(Alexander J. Ellis・Journal of the Society of Arts 33巻・1885年/IMSLP)
- Explaining the Railsback stretch in terms of the inharmonicity of piano tones and sensory dissonance(Nicholas J. Giordano・Journal of the Acoustical Society of America 138巻・2015年/オーバーン大学リポジトリ)
- MIDI Tuning (Updated Specification)(The MIDI Association)