日本の音楽を「日本らしい」と感じるとき、私たちは何を聞いているのでしょうか。

多くの人が思い浮かべるのは、たとえば唱歌「ふるさと」のような旋律でしょう。しかし、この「日本らしさ」は思ったほど古いものではありません。そして、沖縄の島唄と津軽の民謡を並べてみると、それらが同じ音の物差しの上に乗っていないことにすぐ気づきます。

音階は、その土地の楽器、声の出し方、歌われる場面と切り離せません。音階を手がかりにすると、地方の音楽が「方言のように少しずつ違う」のではなく、そもそも違う設計思想でできていることが見えてきます。この記事では、日本の音組織を捉える枠組みを整理したうえで、南と北の具体例、そして平均律という物差しの外側まで歩いてみます。

「日本らしい響き」の多くは明治生まれ

「ふるさと」「春の小川」「もみじ」といった唱歌の旋律は、ヨナ抜き音階と呼ばれる五音音階でできています。西洋の長音階(ドレミファソラシ)から4番目の「ファ」と7番目の「シ」を抜いた、ドレミソラの5音です。「ヨナ(四七)抜き」という名前はそのまま、4番目と7番目を抜くことを指しています。

この音階が広まった背景には、明治政府による音楽教育の制度設計があります。1879年(明治12年)に設置された音楽取調掛は、伊沢修二を中心に、西洋音楽の理論と日本の旋律感覚をどう接続するかという課題に取り組みました。そこで整えられた唱歌の語法が、学校教育を通じて全国に普及していきます。

ヨナ抜き音階が都合が良かったのは、西洋の機能和声にそのまま乗る点です。半音の関係が生まれにくいため、ピアノやオルガンで伴奏をつけても濁らない。つまりヨナ抜き音階は、日本の伝統音楽から抽出された純粋な結晶というより、西洋音楽と日本の聴感の折衷点として設計された側面が強いのです。

短調版である「ヨナ抜き短音階」は、のちに演歌の語法として定着しました。アニメソングやゲーム音楽で「和風」を表現したいときに選ばれる音使いも、多くはこの延長線上にあります。私たちが「日本らしい」と感じる感覚の少なくとも一部は、近代の教育とメディアを通じて後天的に共有されたものだと言えます。

では、それ以前から各地で歌われてきた民謡は、どんな音でできていたのか。ここで、日本の音楽学に決定的な枠組みを与えた一人の研究者が登場します。

日本列島を南北に貫く音の流れを表した抽象的なビジュアル。南は明るい光、北は深い青のグラデーションで描かれる
土地ごとに異なる音の組み立て方は、楽器・声・歌われる場面と分かちがたく結びついている

四つのテトラコルド — 音階を「4度の枠」で捉える

音楽学者の小泉文夫(1927〜1983)は、日本各地の民謡を採集・分析するなかで、西洋の音階理論をそのまま当てはめても日本の旋律は説明しきれないと考えました。そこで提唱したのが、完全4度の枠とその中に置かれる1つの中間音を単位として音階を捉える方法です。この単位がテトラコルドと呼ばれます。

完全4度の両端にある音は、旋律のなかで骨格として働き、しばしば終止や支えとして現れます。小泉はこれを核音と呼びました。重要なのは、枠の中の中間音がどこに置かれるかによって、旋律の表情が決定的に変わるという点です。小泉は日本の音楽に4種類のテトラコルドを見出しました。

テトラコルド枠の中の音程(上行)音名の例よく現れる場面
民謡短3度+長2度ラ-ド-レ各地の民謡、わらべうた
都節(みやこぶし)短2度+長3度ミ-ファ-ラ箏曲・地歌、近世の三味線音楽
律(りつ)長2度+短3度レ-ミ-ソ雅楽、声明、唱歌の一部
琉球長3度+短2度ド-ミ-ファ沖縄・奄美の歌

このテトラコルドを2つ積み重ねると、五音音階ができあがります。民謡テトラコルド(ラ-ド-レ)の上に同じ型をもう一つ積めば、ラ-ド-レ-ミ-ソという民謡音階に、都節テトラコルドを重ねればミ-ファ-ラ-シ-ドの都節音階、琉球テトラコルドを重ねればド-ミ-ファ-ソ-シの琉球音階になります。

この枠組みが優れているのは、音階を「音の並び」ではなく構造の組み合わせとして説明できる点です。同じ5つの音を使っていても、どこに核音があり、どの型で積まれているかによって、旋律の重心はまったく違う場所に来ます。さらに実際の民謡では、歌の途中でテトラコルドの型が入れ替わることも珍しくありません。西洋音楽の用語でいう「転調」とは異なる、旋律内部の重心移動が起きているわけです。

小泉はリズムの面でも民謡を二つの様式に分けています。「江差追分」や「南部牛追唄」のように拍節から解き放たれ、長く引き伸ばされてメリスマ(一音節を複数の音で装飾する歌い方)が多い追分様式と、「八木節」のように集団の労働や踊りと結びつき、拍がはっきりしている八木節様式です。音階が同じでも、リズムの扱いが違えば別の音楽になる——音階だけで音楽を語れないという当然の事実を、この分類は同時に示しています。

なお、日本の音階には明治期の上原六四郎による「陰旋法・陽旋法」(都節・田舎節)や、雅楽由来の「律・呂」といった分類も存在します。ただし「陽旋法」という括りには、性質の異なる民謡音階と律音階が混在しているという批判があり、この二つを分離したことが小泉理論の大きな功績とされます。

もう一つ、混同されやすい点があります。ヨナ抜き長音階(ドレミソラ)と、律音階を別の音から始めたもの、あるいは民謡音階は、音の集合としては同じになる場合があります。違うのは、どの音が核音として働くかです。ヨナ抜きが「西洋音階からの引き算」という発想であるのに対し、小泉の音階は「どの音が旋律を支えているか」という機能の発想であり、同じ音を別の論理で名指しているわけです。

小泉の理論も万能ではありません。四つの型に当てはまらない曲は多く、名称も、ギリシャ以来の tetrachord が4音を指すのに対し小泉のテトラコルドは3音で、厳密には整合しません。唯一の正解というより、日本の音組織を見通しよく整理するための有力な枠組みと捉えるのが正確です。

南 — 琉球音階はなぜ明るく聞こえるのか

沖縄の音楽を耳にしたとき、多くの人が「明るい」「南国的だ」と感じます。この印象は感覚だけの話ではなく、音の構造から説明できます。

琉球音階はド-ミ-ファ-ソ-シの5音で構成され、レとラを欠きます。西洋の長音階から2番目と6番目を抜いた形と言い換えることもできます。特徴的なのは、ドからミへの長3度の跳躍と、ミ-ファ、シ-ドという半音の存在です。長3度は西洋和声では長調の明るさを担う音程であり、そこに半音の緊張が加わることで、独特の張りのある響きが生まれます。

もっとも、沖縄の曲がすべて琉球音階でできているわけではありません。宮古・八重山の民謡には当てはまらないものが多く、労働歌や儀礼歌では別の組み立て方が使われます。さらに、実際の沖縄の音楽では「レ」を含む6音の音組織が広く使われており、「琉球音階」という言葉が沖縄音楽の実態を必ずしも表していないという指摘もあります。便利な名前ほど、対象を単純化してしまうということです。

さらに注意が必要なのは、奄美は「南の沖縄」の延長ではないという点です。奄美群島でも島によって音組織は異なり、徳之島以北ではヨナ抜き系の音階が優勢である一方、沖永良部・与論では琉球音階が使われるという整理がなされています。歌唱法も独自で、高く鋭く跳ね上がる裏声の技法は「グイン」と呼ばれ、沖縄本島の歌い方とは明確に異なります。撥も、沖縄の爪ではなく細い竹の撥を使います。

言葉の使い方にも注意が必要です。「島唄」という語は、もともと奄美で自分たちの民謡を指す言葉でした。ここでの「シマ」は島そのものではなく、集落を意味します。1990年代以降に沖縄音楽全般を指す語として全国に広まった経緯があり、地域によって指す対象が違うため、使うときには文脈を明示するのが親切です。

音を担う楽器も違います。沖縄の三線(さんしん)は、胴にニシキヘビの皮を張り、水牛の角などで作った爪(義甲)を人差し指にはめて弾きます。本土の三味線が犬猫の皮(近年は合成皮革も使われます)にイチョウ形の撥(ばち)を打ちつけて鳴らすのに対し、三線は弦を撥くように鳴らし、胴を叩きません。この奏法の差が、両者の音色を決定的に分けています。なお「蛇皮線」という呼び方は本土側のもので、沖縄では使われません。

歴史的には、中国の三弦が琉球に伝わって三線となり、さらに16世紀ごろに本土へ渡って三味線になったとされています。同じ祖先を持つ楽器が、皮も撥も奏法も変えながら、それぞれの土地の音楽に合わせて別の楽器になっていったわけです。

記譜の方法も独自です。三線には工工四(クンクンシー)と呼ばれる楽譜があり、五線譜のように音高を絶対的に示すのではなく、棹のどこを押さえるか(勘所)を漢字で表します。演奏の指示が「音」ではなく「手の位置」で書かれているという点は、この音楽が何を大事にしてきたかを示しています。三線と歌が一体であり、歌詞の抑揚と旋律が分かちがたい以上、音高だけを取り出して記録しても意味が薄いのです。

北 — 津軽三味線という「発明」

同じ三味線でも、北へ行くと様相が一変します。津軽三味線の音は打楽器のように激しく、旋律よりまず打ち込みの衝撃が耳に届きます。

三味線は棹の太さで細棹・中棹・太棹に分かれ、それぞれ主に使われる音楽が異なります。長唄は細棹、地歌や常磐津・清元は中棹、義太夫節と津軽三味線は太棹です。太棹は棹が太く胴も大きいため音量が出て、低音が豊かに響きます。

ここで因果の向きに注意が必要です。津軽三味線は最初から太棹だったのではありません。伴奏から独立して独奏として発展するにつれて、大きな音の出る太棹が使われるようになり、撥を皮に叩きつける「叩き」の奏法も一般化していったと説明されています。屋外や酒席で、伴奏ではなく主役として鳴らすという条件が、楽器と奏法を選び直させたわけです。

その源流は、東北で「ボサマ」と呼ばれた盲目の門付け芸人たちの芸にあるとされます。定型の伴奏をなぞるのではなく、聴衆の足を止めさせ、投げ銭を得るために技巧を競い合ううちに、即興的な演奏が磨かれました。津軽じょんから節、津軽よされ節、津軽小原節といった曲目は、こうした場で形になっていきます。戦後にこの音楽を全国に知らしめたのが高橋竹山(1910〜1998)です。

ただし、成立史の細部は確定していません。仁太坊(にたぼう、1857〜1928)を今日の奏法の祖とする説が広く知られていますが、これは研究者による聞き書き調査から再構成されたもので、事典によっては仁太坊に触れず、梅田豊月・白川軍八郎・木田林松栄ら複数の名人による段階的な確立として記述しているものもあります。確かなのは、これが「古くから伝わる伝統芸能」というより、比較的新しい時代に演者たちの競争のなかで作り上げられた音楽だということです。

近年は全国大会や競技会が各地で開かれ、若い奏者が速度と正確さを競う場も定着しました。一方で、競技化によって即興性がどこまで保たれるのかという議論も、演奏家のあいだで続いています。

三味線の音の性格は、調弦によっても変わります。代表的な三つは以下のとおりです。

調弦一の糸〜二の糸二の糸〜三の糸印象・用途
本調子完全4度完全5度基本。落ち着いた重心
二上り完全5度完全4度明るく張りのある響き。祝いの曲に多い
三下り完全4度完全4度柔らかく叙情的

同じ旋律でも、調弦が変われば開放弦で鳴る音が変わり、共鳴の仕方も変わります。楽器の物理的な条件が、その土地の音楽の輪郭をつくっているのです。

三味線の棹と皮、撥の質感を強調した抽象的なクローズアップ表現
棹の太さ、皮の張り、撥の形。楽器の条件が、その土地の音楽の輪郭を決めていく

音は船で運ばれた — 民謡が旅をした跡

地域ごとに音楽が違うと書いてきましたが、同時に、遠く離れた土地の歌が驚くほど似ていることもあります。その理由の一つが、人と船の移動です。

よく知られているのが「ハイヤ節」の系譜です。九州・天草の牛深ハイヤ節を軸に、日本海沿岸の港を回った船乗りたちが歌を運び、佐渡のおけさ、新潟の甚句類、津軽のあいや節などにつながったとされます。「あいや」という囃子詞は「ハイヤ」が訛ったものだという説明も広く紹介されています。

ただし、この系譜は定説として固まっているわけではありません。ハイヤ節の発祥地を長崎県平戸の田助港とする事典もあれば、「越後甚句が原調であり、船乗りによって牛深へ持ち込まれた」という、伝播の向きが逆の記述もあります。阿波踊りとの関係に至っては、学術的な裏づけを確認できません。

伝播の跡がはっきり残っている例もあります。「佐渡おけさ」という名称は古謡としての名前ではなく、1926年のレコード録音の際に、「相川おけさ」より通りが良いという理由で付けられたものです。同様に、北海道の「ソーラン節」も、ニシン漁の労働歌「沖揚げ音頭」に昭和10年頃、民謡家が三味線伴奏と歌詞の整理を加えて舞台向けに仕立てたものが今日の形とされています。私たちが「昔からの民謡」と思っているものの多くは、近代の録音や興行を経て整えられた姿なのです。

港町は物資だけでなく、歌と芸が交換される場所でもありました。船乗りが航海の途中で歌を覚え、寄港地の酒席で披露し、土地の人がまた別の形に作り変えていく。旋律は移動の過程で変形し、その土地の言葉のアクセントや既存の音階の癖に引き寄せられて定着します。同じ祖先を持つ歌が、南では跳ねるように、北では引き伸ばされて歌われるようになるのは、そのためです。

こうした経路の多くは、文献ではなく旋律の類似からの推定に依っています。それでも、地図の上に歌の分布を置いてみると、音楽が土地に固有であると同時に、人の移動とともに常に混ざり続けてきたことがよく分かります。「純粋な地元の音楽」という考え方自体が、実はかなり近代的な発想なのかもしれません。

平均律という物差しの外側で

ここまで音名を使って説明してきましたが、実はこの書き方自体が一つの近似です。私たちが当たり前に使う十二平均律は、1オクターブを均等に12分割した人工的な体系であり、世界の音楽がその上に乗っているわけではありません。

アイヌの音楽は、その良い例です。輪唱のように歌い交わされるウポポ、竹の板を紐を引いて振動させ、口の中の形で音色を変える口琴ムックリ、樺太に伝わった五弦の弦楽器トンコリ、そして踊りのリムセや叙事詩のユカㇻ。トンコリは弦を押さえずに開放弦の組み合わせで旋律を作る楽器で、西洋の弦楽器とは発想がまったく異なります。

これらを五線譜に写し取ろうとすると、リズムの伸縮や声の音色といった、その音楽で最も重要な要素がこぼれ落ちます。記譜できるのは音楽の一部でしかない、という当たり前の事実を思い出させてくれます。

アイヌの芸能は制度上も位置づけられており、アイヌ古式舞踊は1984年に国の重要無形民俗文化財に指定され、2009年にはユネスコの無形文化遺産(代表一覧表)に "Traditional Ainu dance" として記載されました。ただし、用語の表記や個々の芸能の定義には研究上の議論があり、扱う際には出典を確認する慎重さが必要です。

日本の楽器のなかにも、平均律に収まらない仕組みは残っています。尺八では顎の角度を変えるメリ・カリという技法で音高を細かく上下させ、その揺れ自体が表現の中心になります。音を正確な音高に固定することが目的ではないのです。

視野を海外に広げると、この事実はさらにはっきりします。インドネシア・ジャワやバリのガムランでは、スレンドロ(5音)とペロッグ(7音)という音律が用いられますが、いずれも平均律とは一致せず、しかも楽団ごとに調律が異なります。バリのガムランでは、対になる楽器をわずかにずらして調律し、その差が生む「うなり」(オンバック)を音色として積極的に使います。楽器のセットが変われば音律も変わるため、他の楽団の楽器と混ぜて演奏することは基本的にできません。

中東のマカームの体系では、西洋の半音よりさらに細かい音程が旋法の性格を決めます。ピアノの鍵盤には存在しない音が、その音楽にとっては本質的なのです。

平均律を「標準」と考えると、これらはすべて「ずれている」音楽に見えてしまいます。しかし実際には、平均律のほうが、鍵盤楽器と自由な転調の都合に合わせて設計された特殊解です。地域の音楽を聞くときには、この前提を一度外してみる必要があります。

平均律の均等な格子から外れていく音の粒を描いた抽象的なビジュアル
均等に分割された物差しは便利だが、世界の音楽の大半はその外側にある

記録されなかった音楽と、いまの制作現場

地域の音楽は、無数に失われてきました。門付けの芸のように、生活の形態そのものが変われば成り立たなくなるものは特にそうです。一方で、保存と継承の枠組みも整えられてきました。日本の民俗芸能には国の重要無形民俗文化財の指定制度があり、各地の盆踊りや念仏踊りなどをまとめた「風流踊」は2022年にユネスコの無形文化遺産に登録されています。

ただし、制度に載るのは芸能のごく一部です。多くの土地の歌は、録音と記譜、そして歌える人が生きているあいだの聞き取りによってのみ残ります。音楽を残す仕事は、演奏する仕事と同じくらい具体的な技術を必要とします。フィールド録音、映像記録、聞き書き、権利処理を含むアーカイブの設計。いずれも、地域と外部をつなぐ人がいて初めて動き出す仕事です。

現代の制作現場にとっても、ここには実用的な意味があります。作品に「和の要素」を入れたいとき、ヨナ抜き音階を使えばそれらしくはなりますが、それは明治以降に整えられた近代の語彙です。琉球テトラコルドを使うのか、都節の半音を効かせるのか、追分様式のように拍節を緩めるのか、あるいは平均律から意図的に外すのか——選択肢を区別できるかどうかで、出来上がる音楽の解像度は変わります。

そして、その多くは資料を読むだけでは身につきません。実際にその音楽を演奏している人に聞くのが、たいていの場合いちばん速い。Music Chronicle では、各地で活動する演奏家・制作者のポートフォリオを見つけるから探せます。民謡や郷土芸能を扱える演奏家、フィールド録音や記録映像を手がける人材への依頼は、仕事の掲載からも相談できます。土地の音を知っている人に直接たどり着けることが、この分野では何よりの近道です。

参考・出典

*音階の分類には複数の学説があり、本記事は小泉文夫の枠組みを軸に整理しています。津軽三味線の成立や民謡の伝播経路には諸説あり、断定を避けて記述しました。*