埼玉県戸田市の新曽新田地区に伝わってきた観音経は、市の無形民俗文化財に指定されていました。ところが保存会が解散することになり、指定は解除されます。民謡研究者の島添貴美子は著書『民謡とは何か?』(音楽之友社、2021年)で、記録の作成を頼まれ、その最期を見届けた経験を書いています。同書の書評によると、撮影にあたって島添が関係者に呼びかけたのは、孫やその先の世代がやりたいと言ったときに復活できる内容にしよう、ということでした。
歌は、歌う人がいなくなれば消えます。それでも日本の民謡は、大量の楽譜と録音、報告書として今に伝わっています。その仕事を担ったのは、特定の誰かではありません。放送局、文化行政、町の保存会、レコードと大会、学校や図書館が、それぞれ別の目的で少しずつ受け渡してきました。
この記事では、国立国会図書館や国立歴史民俗博物館の解説、文化庁の資料、科研費の研究記録、学術論文をもとに、誰が何を残し、何がこぼれたのかをたどります。制度と数値は執筆時点(2026年11月)の情報です。
「民謡」はいつ「残すもの」になったのか — 1882年の訳語から『俚謡集』へ
「民謡」は、もともと日本の歌の呼び名ではありませんでした。島添の著書を紹介した書評によれば、1882年に森鷗外がドイツ語の Volkslied を「民謡」と訳したのを嚆矢として、この語が広まったとされます。それまで同じような歌は、風俗歌、俚謡、俗謡、地方唄などと呼ばれていました。
語に意味を与えたのは文学者たちです。上田敏や志田義秀は、卑俗で技巧的すぎる俗曲や俗謡と区別し、国の音楽の基礎に置くにふさわしいものとして「民謡」を取り出したと整理されています。島添の科研費研究も、民謡の概念が成立したのは明治時代後期で、現在の定義は戦後に成立したとまとめています。
つまり「民謡」という見方は、生活の中の歌が近代化で衰えていくという危機感と同時に生まれました。1914年(大正3年)には、全国の道府県から郷土の歌を集めた『俚謡集』を文部省文芸委員会が刊行します。民俗学者の柳田國男は全国比較ができるようになったと喜ぶ一方、分類が悪く、民謡でないものが多く混じっていると苦言も呈しました。集める人によって、何が民謡なのかがすでに揺れていたのです。
1920年前後からは、もう一つの流れが加わります。北原白秋や野口雨情らの詩人と、中山晋平らの作曲家が手がけた「新民謡」です。濱千代早由美の論文によると、新民謡はレコードや放送と結びついて全国に広まり、観光業や自治体、鉄道会社とも連携しました。柳田はこれを「民謡風の新体詩」と見なし、研究の対象から外します。「本当の民謡」を残そうとする動きと、民謡を新しく作って売る動きは、最初から同じ時代の出来事でした。
放送局が残す — 町田佳聲と半世紀の『日本民謡大観』
最大の記録を残したのは、放送局です。中心にいたのが町田嘉章(佳聲、1888〜1981)でした。NHKで邦楽番組を担当していた町田は、柳田の影響を受け、50歳を過ぎた1939年ごろから民謡調査に乗り出したとされます。1925年のラジオ放送開始のころ、聴取者が関心を示した民謡は「三味線入りのお座敷唄」でしたが、1930年代後半に入るとNHKの組織的な調査が始まりました。
こうして昭和16年(1941年)に始まった事業が『日本民謡大観』です。各地を回って民謡を採録し、楽譜と歌詞、解説に、地理や風土の概説を付けて巻ごとに刊行しました。島添はこの事業を、半世紀以上にわたって行われ、録音と保存の技術の発展が調査の質を大きく変えた事業だと位置づけています。
| 巻 | 刊行年 |
|---|---|
| 関東篇 | 1944(2版1953) |
| 東北篇 | 1952 |
| 中部篇(北陸地方/中央高地・東海地方) | 1955/1960 |
| 近畿篇 | 1966 |
| 中国篇 | 1969 |
| 四国篇 | 1973 |
| 九州篇(北部) | 1977 |
| 九州篇(南部)・北海道篇 | 1980 |
| 沖縄奄美 奄美諸島編 | 1993 |
音源は別に、『日本民謡集』としてレコード化されました。国立国会図書館の解説によれば全体でLP110枚(約2,400曲)とCD7枚(約250曲)に及びます。各解説には収録年月、歌詞、唄の用途、演唱者と収録地などが記されています。
ただし、残すことと使えることは同じではありません。同館では『日本民謡集』は閉架で、利用には許可が必要です。島添の研究記録は、NHKが資料を公開していないために調査の内容や方法が断片的にしか分かっていなかったと記しています。楽譜と録音は残っていても、どう集めたのかは今も研究の途上にあります。

行政が残す — 民謡緊急調査と文化財制度のすきま
放送局に続く大きな記録が、行政の調査です。国立歴史民俗博物館によると、昭和54年度(1979年度)から平成元年度(1989年度)にかけて、文化庁の国庫補助事業として全国の都道府県で民謡緊急調査が行われました。成果は各都道府県の報告書と録音テープの形で文化庁に提出されています。
調査は県ごとに進み、『愛知の民謡』(1981年)、『長野県の民謡』(1984年)、『長崎県の民謡』(1988年)といった報告書が各地の教育委員会から刊行されました。分類には労作歌、祭り歌・祝い歌、踊り歌・舞謡、座興歌、語り物・祝福芸の歌、子守歌、わらべ歌の大分類が使われています。
一方で、全国規模だからこそ限界もあります。報告書の様式は都道府県ごとに大きく異なり、同館は統計的に利用できる範囲は限られていると説明しています。同館の「日本民謡データベース」は2007年3月に公開されましたが、文字情報のみで、利用は来館制です。原データに手を加えていないため、歌詞に差別的な表現が含まれる場合があることも明記されています。
公開の方法は自治体によって差が開きました。京都府は1981・82年度の録音を3枚組のCDにしています。佐賀県立図書館は1988年の報告書をもとに、2014年1月31日からウェブで846タイトルを公開しました。うち800曲は音声付きです。歌詞は掲載せず、録音された地域の人の声をそのまま聴く形をとっています。
文化財制度の側では、1975年の文化財保護法改正で無形の民俗文化財に指定制度が設けられました。文化庁によると2026年4月1日現在で、重要無形民俗文化財が342件、登録無形民俗文化財が9件、「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」が663件です。最後の区分は、必要に応じて国が記録を作るか、自治体の記録事業に助成するためのものです。
ここには注意点があります。指定と選択の基準が民俗芸能について定めるのは、発生や成立、変遷の過程、地域的特色を示すものという観点で、文言に「民謡」の語はありません。また冒頭の戸田市の例のように、担い手が解散すれば指定そのものが解かれることがあります。指定は、歌う人を生み出す仕組みではないのです。
保存会が残す — 江差追分の統一譜と伊勢音頭の復活
歌う人を組織したのは、町の保存会でした。代表例が北海道の江差追分です。江差追分会の記録では、1909年に各派の師匠が集まって正調の基本を定めたとされます。1935年には町ぐるみで江差追分会が発足し、流派を超えた統一の曲譜を作って研修と普及を進めました。1947年に再発足して支部制を採り、1963年には第1回の全国大会を開いています。1974年には基本譜の統一についての申し合わせも行いました。
1982年当時の紹介では、全国大会の出場者は152支部(うち海外5支部)から選ばれていました。大会は新型コロナの影響で2020年と2021年に中止されたものの、第62回は2026年9月18〜20日に開かれる日程が案内されました。ただ支える組織も安泰ではありません。北海道新聞の2026年1月の報道によると、会員の減少と高齢化を理由に、熟年の部の対象が70歳以上から75歳以上に引き上げられ、出場枠も1割減らされることになりました。
伊勢音頭は、失われかけた歌を組み直した例です。濱千代の論文によると、昭和初期の伊勢では、歌える人が芸妓にも少なくなっていました。これを憂えた医師の畑嘉聞らが「伊勢音頭の会」を作り、1932年のお伊勢大祭に向けて、間の山節、河崎音頭、古市音頭、木遣、道中歌を融合し、三味線に合うよう工夫して復活させます。活動はラジオ放送や新聞、鉄道の団体旅行まで巻き込んで広がりました。
この活動は現在の全国伊勢音頭連絡協議会に受け継がれ、1993年に発足した同会は全国の伊勢音頭系の歌が集まる大会を開いています。

「正調」は保存か、創作か — 固定することの代償
保存会の仕事を語るときに避けられないのが正調という考え方です。正しい調子、つまり伝統的に受け継がれたとされる決定版の歌い方を指します。濱千代はこれを、変化するのが当たり前だった歌の、ある時期の一つの形を「正しい」と定め、レコードや活字、楽譜で固定することにつながると説明しています。
伊勢音頭の場合、『日本民謡大観』近畿篇の録音が残した姿自体が一つの例です。論文の注によれば、同書に載る伊勢音頭は1935年10月に東京の日本青年館で催された「伊勢音頭の夕べ」の余興で歌われた2曲を、NHKの放送から金属レコードにして採譜したものとみられます。舞台で歌われた歌が、資料として残ったのです。
もう一つの論点は大会です。論文は、戦後に各地で開かれた民謡コンクールが素人の参加を容易にした一方、定型を模倣できているかが審査され、「型」の固定が進むと指摘します。
ただし、固定を単純に悪と決めることもできません。第一に、保存会が定めた型がなければ、歌い手を育てる基準も遠くの支部に伝える手段もありません。第二に、変化はその後も続きました。正調伊勢音頭は新しい版を次々に生み、伊勢音頭の全国大会ではロックやヒップホップ調の編曲も上演されるようになりました。論文はこれを、統一された歌がふたたび多様化する動きとして描いています。
研究者の間でも見方は分かれます。島添は、仕事歌が本来の場と機能を失ったことを踏まえ、過去の録音資料の研究が求められる時代が来たと結論づけました。これに対して福岡正太は書評で、研究者が民謡概念を磨くことと舞台やメディアでの隆盛はほぼ同時に起きていたと指摘しました。そして町田自身が新民謡「ちゃっきり節」を作曲していたことを挙げ、消滅を語るだけでなく、民謡の未来を描く研究を求めています。どちらかが正しいと決められる問題ではなく、「残す」という語の中に保存と更新の両方が含まれていることを示す議論です。
いま誰が担っているのか — 山梨の405件と、学校と図書館
現在の担い手の状況を具体的に示す資料に、山梨県文化財保護審議会の部会が2025年9月にまとめた『山梨県民俗芸能現況調査報告書』があります。民謡そのものの調査ではなく、対象の6割は獅子舞と神楽ですが、地域で芸能を支える組織の現状として参考になります。
| 区分 | 件数 | 割合 |
|---|---|---|
| 実施 | 186 | 46% |
| 継承の危機 | 73 | 18% |
| 休止 | 146 | 36% |
| 合計 | 405 | 100% |
調査は2024年9〜12月に各保存団体へ調査票を配る形で行われ、半数を超える219件が危機または休止と整理されました。課題には、高齢化による指導者と後継者の不足のほか、資材調達の困難、保存団体への負担の集中、練習時間の減少、発表の場の減少が並びます。コロナ禍後の小規模化や継承意欲の低下も挙げられました。提言の六つのうちの一つは「記録作成への支援と音声映像記録の公開」です。
受け皿は町の外にも求められています。学校では、平成20・21年改訂の学習指導要領に関する文部科学省のQ&Aが、中学校の歌唱教材の観点に民謡や長唄を挙げ、コブシや節回しの指導に触れています。
図書館は、聴く側の入口を担い始めています。佐賀県立図書館の公開は「いつでも、どこでも、だれでも」利用できるようにすることを掲げました。数十年前の録音を今の人が聴ける形にすることも、残す仕事の一部です。

残す仕事を依頼するなら — 権利と記録の実務
保存会や自治体、企業が録音や映像を外部に頼むときは、権利の整理が先に来ます。民謡は「作者不詳だから自由に使える」と考えられがちですが、そう単純ではありません。以下は執筆時点(2026年11月)の制度の概要で、個別の判断は専門家への確認が必要です。
文化庁の著作権テキストによると、無名・変名の著作物の保護期間は原則として公表後70年です。一方で新民謡には作者がいます。「ちゃっきり節」の作曲者である町田は1981年没なので、死後70年の原則に従えば、曲の保護は2051年末まで続く計算です。既存の曲を編曲したものは二次的著作物として原曲とは別に保護されるため、古い歌でも現代の編曲譜には別の権利があり得ます。
録音にはさらに別の層があります。実演とレコードには著作隣接権があり、保護期間はそれぞれ実演後70年、発行後70年です(発行されなかったレコードは固定後70年)。単純に計算すれば、1979〜89年度の民謡緊急調査の録音に含まれる歌い手の実演は、2049〜2059年末ごろまで保護の対象に入ります。歌の作者が不明でも、録音を使うときには歌った人の権利を確かめる必要があるということです。
新しく記録を作るときは、発注の契約が重要です。文化庁のテキストは、創作を委託した場合、料金の支払いにかかわらず実際に創作した受注者側が著作者になると説明しています。保存会のアーカイブとして公開し続けたいなら、利用の範囲を契約で先に決めておかなければなりません。
現場で最低限残したい項目は、『日本民謡集』の解説が手本になります。
- 収録の年月と場所
- 歌い手の名前と、公開についての同意
- 歌詞と、その歌の用途(作業、祝い、踊りなど)
こうした仕事には、録音技術者、採譜者、民謡の歌い手や三味線奏者といった複数の専門が関わります。Music Chronicle では、音楽人材のポートフォリオから担当者を探し、仕事の掲載で業務委託として相談できます。依頼の流れは発注者向けガイドにまとめています。
民謡を残すのは、受け渡しの連鎖である
ここまで見てきた担い手は、誰も単独では民謡を残せていません。NHKの録音は、調査者と各地の歌い手がいて成り立ちました。緊急調査のテープは、公開されて初めて広く聴かれます。保存会の統一譜は、大会と支部があって遠くへ届きました。そして、いずれも何かをこぼしています。楽譜は揺れを、録音はその場の空気を、正調は他の歌い方を、です。音の組み立ての違いは地方の音階をたどった記事で扱いました。
「誰が残すのか」の答えは一つの主体ではなく、歌う人、録る人、整理する人、公開する人、聴いて次に歌う人の連鎖です。冒頭の戸田市の記録映像が目指したのも、消えたものの標本ではなく、いつか誰かが再び始めるための手がかりでした。
参考・出典
- 『日本民謡大観』・『日本民謡集(録音資料)』について(国立国会図書館)
- 日本民謡データベース 概要(国立歴史民俗博物館)
- NHK日本民謡大観事業にみる民謡調査の歴史と民謡の真正性に関する問題(科研費・島添貴美子・2018〜2024年度)
- 音と楽譜にみる町田嘉章(佳聲)の民謡研究と新民謡創作活動(科研費・島添貴美子・2013〜2017年度)
- 書評 島添貴美子『民謡とは何か?』(福岡正太・『ポピュラー音楽研究』26号・2022年)
- 民謡とメディア — 新民謡運動を経た伊勢音頭をめぐって(濱千代早由美・『哲學』128集・2012年)
- 民俗文化財(文化庁・2026年4月1日現在の件数)
- 佐賀県立図書館「佐賀の民謡」公開の発表(佐賀県・2014年)
- 江差追分会概要及び事績(江差追分会)/サントリー地域文化賞 江差追分会(サントリー文化財団・1982年)
- 「山梨県民俗芸能現況調査報告書」概要(山梨県文化財保護審議会 無形文化財及び民俗文化財部会・2025年)